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建築家・平田晃久の作品、著作メモ

 

170816 tree-ness house
一番驚いたのは周辺環境への馴染み具合。まったく違和感ない。バナキュラーな建物と同じ質を人為的につくりあげられているのだとしたら、すごいこと。一方で「からまり」は、人間がからむというよりかは建物と植栽が絡んでいるという印象が強い。めくれあがった「ひだ」によって内と外が攪拌されている感覚がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

170316 太田市美術館・図書館

建築家の用意した図式に対して、その具体的な構成の設計を市民に対してオープンにして、フィードバックによって図式自体も調整し、しかし最終的には図式を感じさせる構成としてまとめあげたこと。それは方法論として誰でも参照可能・再現可能でありながら、しかし建築家の力量×発注者である市×運営者である市民との奇跡的な組み合わせの結果生まれた特異点であり、(おそらく)そうそう再現されうるものではないこと。

次につながる可能性
市民参加を光や風をシミュレートすることと同様にとらえられるかもしれないこと。あるモデルを投下して評価するパラメーターに、力学、光、風、熱に、利用者・運営者が加わったような設計の感覚がみてとれること。結果として、予定調和的な「計画」からすこし逃れた、即興を含んだアウトプットに到達することができたこと。その延長でインターネット等つかった超大数の意見を集約した、多数性による設計も、ゆくゆくは可能かもしれないこと。しかし市民参加の最も重要な意義は、このような設計手法の拡張を越えて、運営と設計のスムーズな連携が可能になったというところにあり、昨今の公共建築の風潮からは考えられないほどの自由さを施設が獲得していることが何よりも得難い達成であること。

この作品から考えさせられること
①多数性を獲得することが新しい設計手法に結びつく可能性がある反面、なんでもかんでも参加してもらえばいい設計になるわけではないこともわかること。ゆるい統率のもとで赤木と流川と三井とリョータと桜木がそろってはじめていいバスケができるのであって、適切なチームと緩いルールづくりがよいゲームのために必要なのと同様。やっぱり平田さんと、平田さんのファシリテーションがすごいということに、最終成果物はなっている。でもそこが設計者の可能性に見える。が、それは真の多数性とは言えない、等、そのあたりの議論は開かれている。

②郊外でいきいきとつかわれるために、良い悪いとは別に、適切なソリューションであることには間違いないが、ショッピングモール的空間構造であること。これは作品個別の問題と言うよりかは、時代が要請するものへの建築が提供できる回答としてどうなのかということで、議論する価値があるかもしれない。内部は、ゲーリーのスタタ・センターを思い起こさせるところがあるが、あれはある意味でものすごくきもちいいモール。外部に対して開放的なつくりであることや、選択可能経路が複数あること、各機能の境界がリジッドでないことが生命線になるではないだろうか。

そのほかの写真はこちら↓
http://corecolor.jp/?p=1520

 

170313 東戸塚教会
内部の光環境が祈りの空間として心地よい。屋根形状に曲線を採用するに至った経緯は気になる。