元旦に出雲大社でお参りした後に、こちらに宿泊。

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ホテル東光園
出雲大社庁の舎とおなじく、菊竹清訓+松井源吾の設計

 

僕はそもそも学生の頃からこの建築が大好きで一度訪れてみたいと思っていた。
ちょっと形式性が強いアクの強さは人によって好き嫌いの分かれるところだと思うけれど、学生の時の僕にはとても魅力的に映っていたし、今見ても紛れもない名建築だと僕は思う。
強引さも繊細さもあって往時の菊竹先生の実力を十分にうかがい知ることができる。
プロポーションもボリュームの組み合わせ方もおしゃれな階段室も時計塔もトサカのついたてっぺんも和風の内装も、この規模の建築にこれほどのアイディアを詰め込んでまとめあげるというのは並大抵のものではない(なぜか上から目線すいません)。

当然、これを依頼して承認して見事に運営したクライアントもすごい。

すごい建築、すごいクライアント、すごい時代があったもんだと僕はひとりで嬉しくなった。

 

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ところが、この威容を目の前にした妻が咄嗟に放った感想

 

”(笑いながら)うーん、これは。。 普通の建物を整数だとしたら、これは、虚数みたい

 

は理系ではないから、厳密な数学上の用語の定義に突っ込みを入れる必要はまったくない。
まったくないが、ぼくはこの「虚」ということばの響きに直感的に共感した。
実物を目前にして高揚したデザイナーとしての僕の頭をフッと醒ましてすっと心に染み込んでくる何かがあった。
(ちなみに妻の感想に否定的なニュアンスはほとんどなく、むしろ面白がって楽しんでた)

 

おなじく菊竹先生の設計による出雲大社庁の舎は、単体で取り上げられれば完璧なアートピースのようにみえるけれども、
実際に訪れてみると出雲大社の境内という特異な条件下で周囲に上手に応答したまっとうな優しい建築だったと先日ブログには書いた

 

ところがこの建築は、良い悪いはともかくとして、浮いている。
周囲には溶け込んでいるが、なんというか今という時代から浮いている。つまり、「虚」なかんじである。

 

瞬間的に僕は、そもそもなぜこのような建築が生まれることができたのか、その背景について思いを巡らせていた。
ホテル東光園は、皆生温泉という温泉地に建てられている。
ここに来るときに乗ったタクシーの運転手さんに興味本位で聞いたところによると、
この温泉地は往時のにぎわいはかなりのものだったようなのだが、その頃にくらべて客足は遠のいている。経済の荒波に揉まれてある時期にうまくいかない宿は整理されて今に至っている。(ホテル東光園も例外ではなく、経営主体が竣工当時から変わっているらしい。)
とのこと。

つまりこのホテルはイケイケの経済成長期(のたぶん最初の方)に建てられている。が、今はそうでもない、と。

 

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そう思いながら海岸まで歩いてみると、なるほど、昔はにぎわっていたけど今はそうでもない、という雰囲気は感じることはできた。(元旦だからそれほど人出はなかったかもしれない、ということは差し引いて考えられねばならない。いや、元旦てホテルにとってむしろ書き入れ時だっけ?)

数日だけやってきた観光者が勝手な評価をしていて大変恐縮だが、そのあと訪れた今現在ホットな観光スポットである玉造温泉(佳翠苑皆美とか星のやの界出雲とか)のにぎわいにくらべると、やはりピークを過ぎた温泉街という感をぬぐえない。

つまりホテル東光園は浮いているが、浮いているのは、そもそもこの温泉街がなんとなく浮いた地域なのだ。
もしこの温泉街がイケイケのときに訪れていたら、この建築もぴったりとビシッと時代の空気感にはまった完璧な建築に感じられたのだろう。

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社会は時間と共に変化する。
だから建築と社会との距離感というのはその見る人の生きる時代に応じて変わっていってしまう。

そんなわけで、当時はハマっていても今の時代から見るとこの建築は「虚数」なのだ。
(逆に、庁の舎は出雲大社という時間を経てもほとんど変化しないという稀有な状況に恵まれたからこそ完璧なピタっとハマっている感がいまでも感じられるのだということがよくわかる)

 

 

そんな素朴でイノセントな妻の感想を自分なりに咀嚼しながら、
僕はかなり唐突にコレ↓を思い出していた。

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マリーナベイ・サンズ

こちらは一昨年の夏休みにやはり家族旅行で宿泊した。
ここ数年で訪れた現代建築の中でも1・2位を争うくらい僕は強烈なインパクトを受けた(そもそも激務でほとんど現代建築見に行けてないんですけど)

これは良い悪いを超えて圧倒的にスペシャルな体験(屋上プール)を提供し

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国の顔として要請される圧倒的に特徴的でシンボリックな外観をつくり

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それなりに値の張る価格設定でもひっきりなしに観光客がやってくる経済的成功を収めている。
SMAPのソフトバンクのCMとか、日本でも有名ですよね)

 

なんとなく3つの大きな要素の組み合わせでできているとか、構造的にダイナミックであるとか東光園と比較して具体的な類似点はいくつか挙げられるにせよ、もっと根本的な次元で両者は似ているな、とこのときふと思ったのだ。

 

ところが似ていても、ベイ・サンズは「実数」として感じられる。東光園は「虚数」

この差は建築と社会状況の距離の違いによって生まれてくる。のではないだろうか。

 

シンガポールは今まさにイケイケの経済状況であり、国中そこかしこから溢れ出てくる圧倒的な好況感というのは半端ではなく、その空気感にどっぷり浸かってみると、この建築はかなりリアリティのある存在として人々の目に映る。少なくとも僕の目にはそう映った。

東光園はイケイケだった当時はビシッとハマった完璧な建築だったけれども、イケイケでなくなった今から見ると浮いて虚ろに見える。

 

結局社会というものは変化し続けるのだから、今という状況にそのまま応用しようと思うとコレはあまり参考にならないな、と思うと同時に、
どうせ社会は変化し続けるのだから、今という状況にピタッとフィットさせることにそこまで汲々とすることにいったいどれほどの意味があるのだろう、とちょっと引いた地点から事態を観察しているもうひとりの自分がいて、
さらにもう一人、状況にその都度最も上手く鮮やかに乗ればいいんじゃない?と思う3人目の自分もいます。

 

 

 

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