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注:画像は内容とは一切関係ありません

『フード左翼とフード右翼 食で分断される日本人』速水健朗著 朝日新書

ある建築雑誌で隈研吾さんがとりあげていらっしゃったので興味をもって読んだ本。「このフード左翼右翼という話は建築の世界にも平行移動することができて、フード左翼のジレンマという話はそのまま環境主義建築の問題として読むことができるんです。」「食べ物みたいにいったん自分の体に取り込むようなものを通して考えないと、抽象的なイデオロギーとしての政治思想なんて今まったく実効性のない、意味のないもの」と、だいたいこういうことだったように記憶している。

 

消費行動が立場を表明する

現代のようにあらゆる商品が店舗やオンラインショップに並び、何でも好きなものを選ぶことができる時代では、その人の考え方やセンスを浮き彫りにしてしまうのが「消費」である。すべての人が好むと好まざるとにかかわらず、何かを買うだけで何かを表明していることになる。そして、政治とは『異なる思想の集団の中から、共通する利益を見つけ、または共通する敵を見つけ、連帯を促し、ひとつの集合体にまとめ上げる』ということであるから、現代において食べることを含め消費行動は政治的にならざるをえない。という論旨だったと思う。(ザックリすぎて本書を読んでない人にはわからない部分も多いかと思いますが)「消費」のような身近な行為の延長線上に政治をみるという考え方にハッとさせられる。しかし政治とはそういうものでなくては困る、という思いもある。

 

フード左翼的な建築とは何か

読んでいて当然、自分はフード右翼から左翼になったなとか妻はフード左翼だなとか親父がヒッピーだった(らしい)から自分も左なのも当然か、などと個人的なことはたくさん思ったが、とりあえずそれらは置いといてフード左翼的な建築というのはどういうものか、考える。先に挙げた建築雑誌の中で隈研吾さんは、「フード左翼のジレンマは、そのまま環境主義建築の問題とも言うことができる」とおっしゃられていた。どういうことかというと、青山ファーマーズマーケットで野菜を買うような有機野菜・無農薬野菜・アンチ遺伝子組み換えのような思想をやがて来る人口90億人の時代に全員が持ってしまうと、地球上のすべての森林を伐採して農地にしても足りなくなるらしい。同様に、世の中の建築がすべて環境主義建築になってしまったら経済的にもエネルギー的にも成り立たないだろう、とのことで、確かになるほど、と思う。つまり基本的には「フード左翼的建築」=環境主義建築ということ。環境保護の思想やフード左翼的なアリス・ウォーターズのレストランなどはアメリカ西海岸サンフランシスコやバークレーなどカウンターカルチャーの震源地から出てきているということもあって両者の親和性は納得できる。環境に根付いたものを志向した結果、庶民のものとはならず富裕層にウケているという点でも同じだ。
本書に登場するフード左翼の特徴を箇条書きにすると、だいたい以下のようになる

  • 土地に結びつきやすい
  • スピリチュアル
  • テクノロジー嫌い
  • 庶民の味方ではない
  • 都市リベラル層
  • 富裕層
  • コンフォートなもの好き
  • クリエイティブ系(クリエーターとかアーティストとか)
  • アンチ経済発展

こうやって挙げていくと、自分の食の好みはさておき、建築人としてあまり共感できない項目も挙がってくる。「テクノロジー嫌い」「アンチ経済発展」などがそれだ。(フードの右左の話にいきなり建築の話持ち込むな、という突っ込みはとりあえず置いておくことにして)

 

左翼の中にもいっぱいある

だから左翼といってもスピリチュアル系に偏ればシュタイナー建築とか出てくるし、アンチ経済発展色とか土地にねざすことを極端に志向すると断熱性能を無視してアワやらワラやらを断熱材の代わりにしようとする人とかもいて、ぜんぜん共感できないセグメントもいっぱいありそうだ。逆に右翼的というと工業化、大量生産、集約、競争原理、効率などといったワードがあがってくるけど、これらはどれも否定すべきことではないというか建築としては当然の前提として僕は認識していることばかりだ。

 

建築みたいにいろんな視点から読むことができていろんな人が使用して所有することになるもので、どこか一つに特化するのってなんだかヘンなんじゃないか、とすら思い始める。(いやヘンじゃないかもしれない。むしろ特化すべきかも?わからない。)そして右翼と左翼のゾーンを分け隔てる塀のようなものが建っているとすれば、その塀の上を起用に歩いてみせることが自分らに与えられた世代的な役割だったりするんじゃなかろうか、なんて想像してみたりする。あとは隈さんのいうコルビュジェ像のように、人生を通じてどっちの領域にもいたことがあるというスタイルもありえるのかもしれない。

 

どっちにしてもすごく難しそうだな・・・