140904 (1)
ジョージ・ネルソン展をみてきた

ジョージ・ネルソン展
目黒区美術館

ジョージ・ネルソン(1908 ~ 1986)  -  アメリカの建築家、ライター、デザイナー、教育者

この展覧会で心に残ったいくつかのこと。

 

#さまざまな分野の出会うところにデザインがある (会場内のキャプション。会場で写真を撮れなかったので僕の記憶により、正確ではない。以下同じ。)
→建築、家具、インテリア、広告、展覧会デザインなど多岐にわたった彼の仕事・生涯そのものがこの考え方の実践

 

#所属する時代・国・社会状況から逃れられないデザイン
→「殺すためのデザイン」と題して武器・兵器をデザインの問題として捉えなおしたTV番組

 

#住宅は気候制御するシェルターである
→現代にまで続く問題系

 

#モデュラー・システム
→標準化が生み出すフレキシブルで多様な生活。
→家具のスケールでは整ったモデュールはとてもきもちよく見える。
→でも、会場にあった階段上ってすぐ右に展示されていた住宅の模型は、プランの自由さからは想像もつかない同じユニットの繰り返しでできてて窮屈な感じがする。
→一方で、モスクワのアメリカ博覧会で展示された「ジャングルジム」にははっきりしたシステムがありながら、そういう窮屈さはない。むしろ透明。山本さんの邑楽町のプロポーザル案や日本の伝統家屋や箱の家をなんとなく思い出す。
→空間ごとユニット化する場合は、そのユニット=器と中身=機能との対応関係がずれていたりあいまいだったりするとなんとなく気になってしまう(のは自分がデザイナーだからか?)
→似たような批判をレム・コールハースがアルド・ファン・アイクの孤児院の後に出てきたヘルツベルハーのセントラル・ベヒーアというオフィスビルに対してしていた(ナカミと対応しないカタチの反復は手法のみが残っているだけで本質的ではない、というような)
→ナカミとカタチ・器の関係についてしばらく考える

 

#恣意性の排除という二枚舌
→邦訳された雑誌(一階に展示されていた)を読むと、「デザイナーはメーカー(発注者)に対して、この曲線が美しい、などとは言って説明してはいけない。この曲線のおかげで効率的になるとか、機能的になるとか実際的な効果の説明をしなくてはならない」「一方でメーカーは美しさについてデザイナーに語ってはいけない。なぜなら美しいということがなんなのか、わかっていないのだから」
→恣意性を排除した説明でないと異なる立場で共有できないということと、デザインはその根っこの部分に避けがたく恣意がセットされているということの両方を認めていて共感

 

#輝かしいアメリカ
→展覧会全体からあふれ出てくるイメージ。希望にあふれた当時のアメリカ。夢の国アメリカ。僕たちの世代は一度も感じたことのない「アメリカへの憧れ」がかつて存在していたことについてすこし考える。