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『環境としての建築』(SD選書、レイナー・バンハム著、堀江悟郎訳)

Rayner Banham: The architecture of the well-tempered environment; The Architectural Press, London, 1969

原題には、邦題のように「環境」を全面に押し出すようなイデオロギー的なにおいがなく、直訳すると「うまく調節された環境の建築」となり、なんというか即物的な響きがある。

 

空気の質を制御する技術がいかにして建築に取り込まれていったのかを、具体的な作品(建築家のものばかりではない)を通して明らかにしており、その客観的な事実の積み重ねによって、環境制御技術を建築史の中で適切に位置付けてこなかったそれまでの「正統」の建築史に対する批判となっている。
バンハムは言う。空気環境を制御する技術は、人間をとりまく環境を作り上げる要素として無視できないほど重要であるにもかかわらず、「正統」といわれる近代建築史の中でまったく取り上げられてこなかったと。
この技術に関する建築家と建築史家の無知、無関心、敵対心、建築的美学の優先がどれだけ問題なのかを彼が指摘している部分を読んでいると、なんだか今の時代の建築家たちにむけて言っているようにもきこえて思わずドキッとする。50年以上も前の批評なのに、まるで今現在の批判のように聞こえてしまった。

 

技術そのものは建築の美学より先行して存在していて、発明が建築のデザインに取り入れられるようになるまでには数年~数十年の時間がかかる。(当然といえば当然)
『ヨーロッパの建築家が、「技術を文明化する」であろう様式を案出しようと試みていた間に、合衆国のエンジニアたちは、文明化された人類の住みやすい、建築の近代様式を作るであろう技術を工夫していた』(本文より)

 

ウィリス・キャリアは空気調和技術の父と呼ばれるのがふさわしい人物であり、電灯照明技術におけるエジソンと同じ位置づけをされうるほど空気調和設備の発展に決定的な影響を及ぼした存在であるが、彼は社会を導くビジョンをもっていた人物ではなく、やむを得ない、差し迫った要求へ回答をしていただけだった。すなわち、大工場の労働者の生産性を高めるために空気環境を整える必要があり、経済的なリターンのある投資先としてしか空気調和技術の進展はあり得なかった。

 

技術の前進も開発も常に世界のどこかで起こっている。それのどれが有用で、どうやって使いこなしたらいいのかについて常に目を見開いていること、どうやって具体的なデザインに落とし込んでいくのがいいのかを考え続けていることがデザイナーとして大切な姿勢だと教えられる。しかも大事なことは、技術は無目的であり、なにか有益なものになるためにできるものではないこと、何に使われるかわからないがなにか可能性ありそうなものとして生まれてくること。どう使うかということはデザイナーによるところが大きいということ。

 
環境制御技術へのリラックスした態度。環境・設備をよく理解し、ある時は建築に取り込み、ある時は現し、ある時は隠し、デザインの各条件と優先順位のなかで自由に取捨選択すること。そして最終的に建築の形式として落とし込むこと。
こういう自由さが、空気調和・環境制御をデザインに取り込む上で大切な姿勢である。
その優れた例として、特にフランク・ロイド・ライトのプロジェクト全般(ラーキン・ビル、ベイカー邸、落水荘、ロビー邸・・・)
「環境技術が、絶望的療法として招致されたものでもなく、構造の形を司令したものでもなく、結局は自然に建築家の尋常な作業手段の中に包摂され、彼の設計の自由度に貢献したという建築が、ここにほとんど初めて存在したのである」(ベイカー邸に対する評価)

 

メゾン・ド・ヴェール(ピエール・シャローとベルナルド・バイフゥト)
→電気配線の立て管、暖気用ダクトの床埋め込み、ガラスブロックによる調整された光『機械設備によって一種の連続的な空間彫刻を作る過程のなかで、住宅の手引きの環境的要求のほとんど全てに対して何とかうまく答えを出した一軒の家』

アルミニウムの家(アルバート・フライ)
→住宅の手引きをほとんど満たすところまでできているが、コルビュジェ流の機械美学を表現しようとしすぎるあまり、遮音性能を犠牲にしてしまった。

ラファイエット・パーク・アパート(ミース・ファン・デル・ローエ)
→空調室外機をデザインに取り込む工夫

シテ・ド・レフュジー(ル・コルビュジェ)
→環境制御を建築の形式へと発展させていこうとする努力。特ににおける、ダブルスキンとブリーズ・ソレイユの提案(経済的、制度的な理由によって両方とも実現しなかった)
『パワーを隠すこと』
アリゾナ・ビルトモア(アルバート・チェイズ・マッカーサー)
→タイル、煉瓦積みにビルトインされた照明

メンデルゾーンとシンドラー(カリフォルニア=ベルリン派!)
→光源を見せないで照明をするために普通の構造の残された空間や空洞を利用する

フィラデルフィア貯蓄基金協会ビルディング(ハウとレスケーズ)
→設備階、吊り天井の発明

ガラスの家(フィリップ・ジョンソン)
→風呂+暖炉ボリューム、屋根と天井からの暖房、木による日射遮蔽、そぎ落としたデザインのように見えて空気環境はきちんと整えられ、環境的に破綻していない。

 

『パワーを現すこと』
国連ビルの天井(ル・コルビュジェ設計、ウォレス・ハリソン実施設計監理)
→ウォレス・ハリソンの「ぞんざいな」設備の扱い、隠すわけでもなく、そこまで配慮しないまま露出する設備

オリヴェッティ工場(マルコ・ザヌーソ)
→環境制御の方法がダイレクトに建築のストラクチャーの形をを決めている

ラ・リナシェンテ(フランコ・アルビニ)
→設備ダクトを収容するための外壁の凹凸がファサードのリズムをつくっている。

リチャーズ・メディカルセンター(ルイス・カーン)
→行き過ぎた形式化?設備を納めるためのタワーだったはずが、タワーを建てるための口実としての設備になっている。

クイーン、エリザベス・ホール(ノーマン・エンジェルバック、実際のデザイナーはロン・ヘロン、ウォレン・チョーク、デニス・クロンプトンなどアーキグラム)
→『配管やダクトに対するカーンやアルビ二よりずっとくつろいだ態度』
次の空気膜構造建築とセント・ジョージ州立中学校の第二棟は建築家のカバーしうるレンジの両極端

合衆国原子力委員会移動展示場(ヴィクター・ランディとウォルター・バード)
→空気膜構造のテント。「全く何ら囲いなしの純然たるパワーの応用からわずか一歩のところにある」

セント・ジョージ州立中学校の第二棟
→「土着文化において環境を管理していた経験則(親指の法則)の蓄積と同じような完全性と権威とを獲得した」「全くパワーを付加しない純然たる構造からわずか一歩のところにある」

 

つまるところデザインの前提となるのは

 

全体性
→構造も環境も設備も経済性も美的な感性も出来る限り排除しない。

環境制御技術に対するリラックスした態度
→隠す、表す、造形に含む、含まない、伝統へ接続する、接続しない、守るものと守らないものの取捨選択、あらゆる条件を並べて比較するフラットさ